arfifmoyo50’s blog

コップの水はまだ半分より多くあるよ。

まだ、外飼いの犬がいた頃の昭和、平成の話

 こんにちは

 立春を過ぎてなお、本格的に大雪が

続くまち在住の アラフィフもよです。

 こちらに辿り着いていらっしゃる

あなたとのご縁に感謝いたします。

 

 きょうは標題の昭和、平成の頃、

お外で飼われていた犬の話をさせて

いただきます。

 ♪ゆっくりしていってねー♪

 

  むかし昭和から平成の前半期頃

まで北海道でも雑種犬を外飼いして

いました。

 

●平成17年の事ですが、

農家さんの外飼いのワンコの話です。

 倉庫から柱同士を長くて太い針金で

繋いで、そこにまた長い鎖を通して

シャーシャー、かなり自由度高く繋が

れて、走り回って飼われていたワンコ

がいました。

 知らずに車で行くと、そのワンコ、

とんでもない速さで飛び出してきて、

犬を轢くにせよ、車が傷むにせよ、

「ヤバいわー」と思った記憶があり

ます。

 

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●それよりもっと前の、
昭和から平成初期にかけて
私の実家で外飼いしていた犬の

思い出話をさせてください。

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 フィラリアだの、〇種混合ワクチン

だの当時は無かった。

 外飼いで蚊はいたし、犬の病気の

認識は今ほど高くはなかった。

 散歩してご飯あげて、ヌシは家に

入って、ずっと一緒ではなくて。

 狂犬病の予防接種は義務だったから、

年1度獣医さんが回ってくる時間に家

近くの公園でお注射したくらい。

 「犬」の年号入りのステッカーを

玄関戸に貼る。

 通学自転車に貼るようなシール。

 

 私が拾ってきた子犬は、体は白くて

鼻がピンクだった。

 足が太くて、絶対大きくなると言わ

れて、やはりみるみる大きくなった。

 

 小学生の私は散歩も引きずられる位

力強くて、散歩が憂鬱だった。

 頭が良いのか、ポールから鎖の輪を

自ら咥えて外し、年に数回脱走した。

 

 ソフトバンクのお父さんに似てるが、

少しブサイク。

 冷飯にちょっと賞味期限切れの牛乳

をかけてあげたり、味噌汁ごはんなど

を温めてあげて1日2食。

 牛乳を飲ませていたことが多くて、

それが良かったのか、意外と長生き

をしてくれて、14才半か、15才位か、

実際いくつかはわからないまま。

今時期の寒い深夜に亡くなった。

 

 私は当時20代初め。

 今50過ぎになり、失明した老犬

を育てて、1日でも長く生きて欲しい

と願って暮らしてる。

 

 外飼いの犬を飼っている人はもう

見かけない。

 栄養バランスを考えて、歯磨きを

させて、調子悪くなったら獣医さん。

 予防接種に健康診断。

コレステロール値が高いね」なんて、

言われたり…。

 

 でも、だんだん食べなくなってきて

痩せてきた。

 あれこれ工夫して、毎日なんとか食事。

 7月で17才…。

 いま、この子を大事にしているのは、

あの子にしてあげなかった罪滅ぼし…。

 

 あんな寒い夜に、クオーンクオーン

と遠鳴きしていた。

 見に行ってあげなかった。

 だって、寒いから。

 見に行ってあげればよかった。

 二度と会えなくなるのなら。

 

 いま、外飼いしている人なんて

いない。

 いつも、そういつも、一緒だよ。

 そして、こんな寒い真夜中は

あの子を思い出す。

 ずっと、あの子を忘れない。

 それが私の罪滅ぼし…。

 

 

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 あんまりうまく書けていませんが、

指が動くまま、よくわからない文を

つらつら書かせていただきました。

 

 寝食を共にするウチ犬のかわいい寝顔

を見る度、それに比べて過酷な環境下で、

今ほど恵まれずお外で番犬として人(犬)生

を全うした子のことを時々思い出します。

 

 後悔先に立たずと言いますが、

 今を大切に暮らしたいと思います。

 人生は有限です。

 悔いなき日々をお過ごしくださいね。

 

 2023.2.6   アラフィフもよ

   秋元望余