arfifmoyo50’s blog

コップの水はまだ半分より多くあるよ。

アラフィフになってからの老親との向き合い方

 こんにちは、こんばんは。

 このブログにたどり着いてくださった

このひとときのあなたとのご縁に感謝

いたします。

 

 アラフィフもよです。

 

 きょうの標題のテーマについて

お話をさせてください。

 

 人によっては、

20代から30代から、または40代から

親とそりが合わないって方、いらっしゃると

思います。

 

〇表面上話は合わせているが、詳しい生活

状況にはお互いにノータッチ…。

 

〇盆正月以外は実家によりつかない…。

 

〇LINEはするけど、会うのはまっぴらごめん…。

 

〇全く音信不通…、親戚の葬式でなら行くけど…。

 

〇実は、親の所在は不明…。連絡不通…。

 

 ご家庭の事情もいろいろあると思うのですが、

アラフィフとなった世代では、現在、親の高齢

による身体的問題、経済的問題、こまごまとし

た生活の問題、介護に関わる問題等にぶち当た

る時期ですね。

 

 私もここ2年位前からいろいろなことがあり

まして、実親の父は他界を既にしておりますが、

実母は80歳を超えてなお自立した生活をしてお

ります。 

 しかし自立と言いながら、行政を動かすまで

もなくこまごまと身内介助することは数年前か

ら続けており、しかし「それは当然よ」と本人

は、思っているフシもあり、…なかなか大変な

ものがあります。

 

 義理の父母とのいさかいもちょうどこの2年

前位からでしょうか。

 経済的に裕福であっても、身体的に思うように

いかなくなった途端、ひとは、他人にきつく当た

ることもあるのでしょうね。

 

 全く義父というひとは、末期がんであったにも

関わらず自分の終活を考えてくれなかったことが

大変でした。 

 義父の妻、つまり義母は既にアルツハイマー

認知症を数年前から発症していました。

 

 認知症をもってしまうと本当に大変です。

家族が参ってしまうことはよくある事です。

 義母の施設入所が決まるまでの1か月間、お預

かりをしましたが、帰宅願望が強く見張ることが、

大変でした。

 疲弊してしまってつらい時期でした。

 義母の病気のことがあったので、特に義父の終活

や亡くなった後の自分の希望などをまとめて教えて

ほしかったのですが…。

    義父は頭がしっかりしていた残された時間も、自

分の趣味である郷土研究の本を執筆し、自費出版する

夢ばかりを追いかけて、終活のことは一切考えずに、

亡くなりました。

 その死後の後片付けがなかなか複雑で、妻が認知症

であるゆえ、後見人制度を利用することになり、親族

間では話が進まず、遺産分割の件を含め、まだ揉めて

いる状況です。

 終活については私が言うまでもなく、必ず少しずつ

考え、進めておくべきです。

 義父は自分の死について、考えること自体を拒否し

ていました。

 私とは義理の関係ですが、実の子たちにも具体的に

話をしていたことは皆無だったので…。

 私がもし連れ合いがアルツハイマー認知症だった

ら、もっと考えますけどね。

 死への向き合い方は本当に人によります。

 

 個人的なエピソードが長くなってしまいましたが、

老親との向き合い方はこのようになかなかこじれる

ことがありますね。

 実親でも同じでしょう。

「血がつながっているから分かり合える」なんて信

じていたらとんでもないと思います。

 長く生きていたら人は変わります。成長とも言う

し、退化するとも言える。

 物事の捉え方も変わります。人生の向き合い方も

ひとそれぞれ…。

 親子でも違うんです。

 

親子の考え方の相違パターン

 親⇒

   ( 親の人生経験が子より勝る。

   「この子はまだまだ、浅い考えだなあ」と

   熟年者側は捉える。よくあるパターンであり、

   そこそこ正解であることが多い。)

   

 親⇒子

  ( 子の人生経験も親と同程度。価値観も近い。

   妥当な落としどころを互いに見つけやすい。

   衝突が少ない。まあまあ許容し合える。)

  

 ⇒子  

  ( 子の人生経験が親のものを上回った場合。価値観も

     違う。

    子が善行を積み重ね、親を超えてしまった場合など。

    別の「魂のステージ」に立ってしまったというべきか。

     理解許容し合えないことが多く、衝突も多々あり。)

 

 ●●●最後に●●●

  ひとは皆この現世で修行しているのだと思います。

 老親と血がつながっていても、姻族関係であっても、

 魂の視点で言えば、別々のステージに立っているの

 でしょう。

  宗教家でもありませんが、私はそう思っています。

 夫婦であっても、きょうだいであっても同じです。

 相互理解出来かねることは自然なことでしょう。

 「血がつながっているから、面倒みて」

 「家族だから、理解して」

  無理なものは無理です。

  自分をまず大切にして、納得のもと、老親にして

 差し上げられることはしてあげましょう。

  でも、それを「あたりまえ」だと老親が思うよう

 では、思うほうが間違いです。

  無理をしないで…、老親と向き合えるか、自分の

 心に耳を澄まして…進みましょう。

 

 

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  2023. 2. 5 アラフィフもよ

         秋元望余