arfifmoyo50’s blog

コップの水はまだ半分より多くあるよ。

亡き父と過ごした最後の日々のこと

 こんにちは、アラフィフもよ

です。

 あなたにお尋ねします。

 眠って見る夢は色がついていますか。

 白黒でしょうか。

 

 私、色鮮やかな夢をよく見ます。

 もちろん今のTVを見るような色は

してはいませんが、かなり色味は多く、

柄模様もリアルです。

 それはとても驚くほどのレベル。

 あなたはいかがでしょうか。

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 きょうのお話は亡くなった父との

その亡くなるまで2か月半、日数に

して75日間程の最後の日々のことを

お話させてください。

 

 父を亡くして命日が近いです。

 生きていたら85歳になっているで

しょうか。

 80の壁を越えることは出来ず、父は

肺がんで、とても冷え込んだ、北海道

弁で言うと、"なまらしばれた''午前1時

頃に病院で息を引き取りました。

 

 完全看護である総合病院であるにも

かかわらず、父はシモの世話を看護師

さんにしてもらうことを嫌がり、排尿

の管を入れることもオムツも嫌がり、

2か月以上母が泊まりこみで、つきっ

きりのお世話をして、最終的には眠る

ように、(いや実際に眠ったまま)別れ

や感謝のことばを残すことなく、逝き

ました。

 

 狭いサイドベッドで隣で休んでいた

75歳の母は、モニターから異常を察知

して飛んできた深夜勤の看護師さんに、

叩き起こされるかたちで、父の最期を

知りました。

 

「お父さんが、死んだよー!」

と電話で母から聞き、私も家族も慌てて

隣市にあるその病院に駆けつけました。 

 

 

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 遡りますが、前年11月末に状態が急変

したと、ドクターから言われました。

 絶食でも水分は欲するので、ポカリス

エットをとにかく父の声無き声に反応し

て、父が欲しがるだけ飲ませてスマホ

灯りだけで徹夜をしました。

 

 私は当時フルタイム勤務をしていまし

たが、大変理解のある部署で、年次有給

休暇をかなり取得させてもらい、頻繁に

父のお見舞いを続けることができました。

 

 二度程大変あぶない状態を脱した父は

お正月に自宅に1泊だけ外泊することを

切望していました。それくらい元気に

なれたのです。

 

 しかし、肺がんである前から重度の

COPD(慢性閉塞性肺疾患)であったため

大量の酸素を供給できる場に常にいなけ

ればならず、自宅に帰ることは難しく、

叶いませんでした。

 父は小型酸素ボンベでは済まない程、

(もう量は忘れましたが) 院内だから出来

る最大の酸素供給を受けていました。

 

 お正月を自宅で過ごすという希望を

失ってしまった父も家族も、まず父が

新年を迎えられたことは嬉しいことで

ありました。

 

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 私はおせちとお雑煮を病室に届けま

した。

 お正月らしい事をしたいと思い、

ベッド上でトランプや花札をしました。

 

 

 

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 なんとか年を越すという一つの目標を

やり終えた私達に訪れたのは、不思議な

虚無感でした。

 

 その後の父は看護師さんにお世話を

かける事を常に嫌がりました。

 私に対してもシモの世話は嫌がって

頼む事は一番もなかったですし、私も

実際それは無理でした。

 (危篤のときには、排尿管等の処置が

されていたため、私はそういう事をせず

に済んでいました。)

 父はずっと母をそばに置き、世話をさ

せたがりました。

  

 公立の総合病院で、ホスピスではあり

ませんでしたが、ご担当のドクターが

なにより優しく接してくださり、お気遣

いをいただきました。

 もうお迎えがいつ来るかわからないが、

ご家族で好きに過ごしていい、というご

配慮だったのでしょう。

 詰所よりずっと離れた個室を使用させて

くださいました。

 トイレ、洗面所はもちろん、シャワー室

もありました。

 私はその中で、父が食べたがるホルモン

をIHコンロを持ち込み、ジュウジュウ焼き

ました。

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 大量の酸素供給をされており、もちろん

院内は火気厳禁です。

 IHでも許されないとわかっていました

が、とにかく、内緒で換気扇を回しながら

シャワー室でドアを閉めてホルモンを焼き

アツアツを父に食べてもらうことができま

した。

(勝手なことをして申し訳ありませんでした

と今では謝罪したい気持ちです)

 

 このように、父に出来る限りの事をし、

闘病生活がいつ終わるともなく続き、

(ドクターは予想できたのでしょうが)

年越し後の看病も母が疲弊しきって

しまうほど長くなった2月初旬、

「まさか…」

というタイミングで父は逝きました。

 

 最後に「ありがとう」の一言でもあれ

ば母は報われたでしょうが、そうではなく、

「少し眠い。寝るからお前も休みなさい」

と言って目を閉じたそうです。

 

 

 死に目に会うか、会わないかということ

を重視する意見もありますが、こればかり

は選べません。

 

 駆けつけた私や家族達は父の顔が安らか

だった事に救われた気がしました。

 

 

 

 

 父の事を考えながら眠ると、父が夢に

出てきます。

 もちろん、仕事や趣味を考えながら眠る

とその関連の夢を見る事もあります。

 

 父の夢は、ありがたいことに闘病して

いるものではなく、バリバリ働いていた

頃の、今の私より若い父だったりします。

 父のブレザーの柄、スラックスの形。

 ちびまる子ちゃんのお母さんみたい

な母の髪型。週末のお決まりのランチ。

 家族で入っていた天ぷら屋のしつらえ。

 鰻焼きの炭煙を団扇で仰ぐ大将さんの

ねじり鉢巻姿。

 笑って迎えてくれた奥さんの笑顔。

 お店の玉のれんやビール用冷蔵庫やその

上にあったブラウン管のミニテレビや茶碗

の色形までもが夢の中でよみがえります。

 

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 記憶についてはよくわかりませんが、

過去の見たもの、聞いたもの、感じた

ものはどこかにあるのでしょうね。

 表面的には忘れているようで、忘れ

てはいない。

 どこか深いところに膨大な量の情報

が保管されていて、たまに取り出して

見る事が出来るのかも知れません。

 

 私の見る夢は色つきが多いです。

 あなたはいかがですか。

 

 2023.2.9   アラフィフもよ

   秋元望余

 

 

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